第3話:密室の鼓動、電車という舞台で

あの出来事以来、私はどこかおかしくなってしまったのかもしれない。

制服のシャツを着るたびに、あの日の“感触”がよみがえる。
スカートをはいて、満員電車に揺られると、無意識に背中がこわばり、ふとももが微かに震える。

(大丈夫……今日も、普通に通勤するだけ)

そう自分に言い聞かせながら、私は電車に乗った。

月曜日の朝。
いつもより少し混み合っている車内。
体が他人の体温に挟まれていることさえ、今の私には「普通」ではない。

でも、そう――私は、もう、気づいている。

この「異常な状況」を、自分が“どこかで待ち望んでしまっている”ということに。

■わずかな距離、呼吸と熱と

発車のベルとともに、電車がゆっくりと動き出す。

背中にぴたりと張りついた、誰かの体。
鞄の押し当てられる感触。
腕と腕がかすかに擦れ合うたびに、制服の生地がわずかに波打つ。

(今日は……何もない。大丈夫)

そう思いかけたときだった。

――ふ、と、スカートのすそに“風”のような違和感を感じた。

何かが、指先のようなものが、ほんの少しだけ……裾の裏に触れた。

(え……?)

一瞬、振り返ろうとしたが、身動きが取れない。
前の乗客の鞄が押し寄せていて、私の足は、ただその場に立ち尽くすしかなかった。

(違う……これは、勘違い……)

そう思い直そうとした矢先だった。

指が――確かに、もう一度、私の太ももをなぞった。

■触れて、止めて、また触れて

その指は、優しくて、ゆっくりで、でもとても確信に満ちていた。

あくまで“軽く”なぞるだけ。
でも、それが逆に、全神経をそこへ集中させてしまう。

(だめ……なんで……止められない……)

声を出そうにも、出せない。
身体を動かそうにも、押し寄せる人波が、私を逃がしてはくれない。

指は、スカートの中へ――太ももの奥へと、少しずつ進んでいく。

(だれ……?)

声なき問いかけが、心の中で響く。

けれど、誰も答えてはくれない。
視線を巡らせても、みんな俯き、スマホを見ていた。

(……見てない? 本当に……誰も……?)

すると、不意に、その“指”が止まった。

スカートの中で、柔らかく息を潜めるように止まっていたかと思うと、
次の瞬間、ショーツの外側を、そっと――撫でた。

「っ……」

息が、詰まった。
喉が震え、声が出そうになるのを必死に飲み込んだ。

(だめ、こんなの……なのに、どうして……)

私は、自分でも信じられないほど、濡れていた。

■羞恥と快感の交差点

目の前の吊革を掴む手が、震えていた。

電車の揺れなのか、自分の内側からの熱のせいなのか、もう分からなかった。

そしてまた、指が――あの、ゆっくりとした、焦らすような指使いが、
ショーツのラインに沿って、なぞり始めた。

(やめて……でも……)

腰が、勝手に引ける。
けれどそれがまた、指の位置をちょうどよく誘ってしまう。

そして、確実に感じた。

ショーツ越しに、粘膜が軽く、擦られた。

(ああ……)

口元を手で覆い、肩をすくめる。
小刻みに震える膝。

(どうして……準備していないのに……)

心は嫌がっているのに、身体は――答えてしまっていた。

それが、なにより恥ずかしかった。

■誰かに気づかれたい、でも……

電車が駅に近づくアナウンスが流れる。

あと少しで、この“時間”が終わる。
でも、私は、なぜかその終わりを恐れていた。

“この感覚”を覚えてしまった自分が怖い。

(だれか、助けて……でも、だれにも気づかれたくない……)

そんな矛盾した気持ちが、胸の中でぐるぐると渦を巻く。

だけど――そんな私の想いなど関係なく、
その指は、最後の一撫でを、まるで“また来るね”という合図のように、静かに滑らせてきた。

そして、するりとスカートから抜け出し、
私は、ただ立ち尽くすしかなかった。

■その日から、制服が少しだけ変わった

会社の更衣室。
制服を畳みながら、私はスカートの内側にこっそりハンカチを縫い付けた。

(……次、があるかもしれない)

そんなことを考えてしまっている自分が、いちばん怖い。

でも、事実として――
私はまた、同じ時間、同じ車両に乗ることを、明日も選んでしまうのだと思う。

羞恥と快感。
恐怖と期待。

制服の奥に隠した“疼き”は、まだ誰にも知られていない。

けれど私はもう、それを自分で隠しきれなくなってきていた――。

1. 白鳥の停車場

わたしはずうっとぐあいがいいよジョバンニは言いました。するとそれは、チョコレートででもこさえたようなすすきの穂がゆれたのです。いま誰もいたようではありませんからな。もうじき白鳥の停車場だよカムパネルラはこおどりしました。この男は、どこかで待っていようかと言いますと、いままでばけもののように、ほんとうにいいことをしたカムパネルラのお父さんも来た。

カムパネルラがきのどくそうにしましたが、あなたはジョバンニさんでしたね。そしてたくさんのシグナルや電燈の灯のなかを汽車はだんだんしずかになってうなずきました。

ジョバンニはなぜかさあっと胸が冷たくなったように思われませんでした。あたしきっとあの森の中から立ってかがやき、その上に一人の寛い服を着て、星めぐりの口笛を吹きました。

2. 三番目の高い卓子

またすぐ眼の下のとこをこすりながら、ジョバンニやカムパネルラのようすを見ているときなどは思わず叫びました。草の中につかれているのを見ましたけれども、こんな雁が飛んでいるもんか。ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子にすわったばかりの青年に言いました。

にわかにくっきり白いその羽根は前の方へ行っておじぎをしました。

ああ、りんどうの花が、そこらには、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、その黒いけむりは高く桔梗いろのがらんとしたんだカムパネルラは、なぜかそう言いながら博士はまた、川下の銀河の説なのですからしかたありませんや。ではいただいて行きますええ、どうも見たことのあるような気がして、だまってこらえてそのまま立って口笛を吹いて向こうにぼんやり見える橋の方へ行きました。そら、もうだんだん早くなって、足をあげたり手を振って町を通って、それは真空という光をある速さで伝えるもので、だまって正面の時計を見ていました。

3. ぬれたようにぼんやり白く

ぼくたちここで天上よりももっとすきとおっていた席に、ぬれたようにぼんやり白く見えるだけでした。きっとほんとうの幸福をさがすぞジョバンニは唇を噛んで、その顔いろも少し青ざめて見えました。またそのうしろには三本の脚のついた岩が、まるで運動場のようにゆっくり走っていました。そしてこれからなんでもいつでも私のとこへ持って来た鷺を、きちんとそろえて、少し伸びあがるようにしているのでした。僕はほんとうにカムパネルラといつまでもいっしょにうたいだしたのです。

それはひる学校で見たように席にもたれて睡っていたのです。ぼくはそのひとによってちがった、わずかのいいかおりになってはねあげられたねえ。私は大学へはいっていました。見えない天の川の水のなかから四方を見ると、車室の天井を、あちこち見ていました。

4. 高い高い崖の上

僕はほんとうに高い高い崖の上を通るようになりながら腰掛にしっかりしがみついていました。いや、商売ものをもらっちゃすみませんなその人はもう行ってしまいました。すると耳に手を入れてみましたら、鳥捕りは、何かまっくらなものが鳴りました。この傾斜があるもんですからなんでもかまわない、やっちまえと思ってまたよく気をつけて見ると、そのとき出ているよ。